卒業生の皆さんへ | 学長室から ビデオレター&メッセージ | 大学案内 |

大学案内

学長室から ビデオレター&メッセージ

卒業生の皆さんへ

2013/03/18

卒業生・修了生の皆さんへ

学長 佐々木 雄太

皆さん、ご卒業おめでとうございます。それぞれの課程を修め、卒業、修了を迎えた皆さんに心からお祝いを申し上げます。
今、皆さんは人生の大きな節目のひとつを迎えています。この時に当たって、あらためてこれまでの道のりを思い起こし、門出の抱負を温めてください。人生の節々において想いを新たにすることは、その先の人生の充実につながるからです。この大学で学んだ数々が、友人たちと共にした経験の数々が、これからの人生において皆さんを支え、励ます力になることを心から願います。
昨年、学長に就任して間もなく、沖縄出身学生の保護者の方々との懇談のために沖縄を訪問しました。その滞在中の一夜、本学卒業生の皆さん10人ほどと語り合う機会を得ました。彼らは、口々に「名経大に学んで本当によかった」と語ってくれました。大学の責任者としてこんな嬉しいことはありません。何年かの後に、本日卒業される皆さんにも、本学でのよき思い出を語っていただけることを願います。

私は、皆さんの行く末が希望に満ちた時代であることを心から願います。しかし、残念なことに、今皆さんが向き合わねばならない社会は決して皆さんにやさしく、居心地の良い社会とは言えないようです。
2008年秋に世界を襲った経済危機の余波がいまだに続き、就職は氷河期だと言われてきました。今、日本の34歳以下の若者のじつに3割が、派遣社員・契約社員など不安定で待遇が低い非正規雇用の境遇に置かれています。これは、その人々にとっては勿論のこと、社会全体にとってもゆゆしき問題です。若い人々が職業を通して社会にしっかり根を下ろし、それぞれの能力を発揮することなしに、健全な社会は成立しないからです。
こうした時代に社会に出て行く皆さんに、二つのメッセージを送ります。

第1に、皆さんはこの社会にあって「ヤドカリのように暮らしてはならぬ」ということです。
10年くらい前から、若い人々が「自分にふさわしい職を探すために」フリーターを目指すという傾向が現れました。「自分探し」に時間をかけようという思いは分らないではありません。しかし、私はそこに危うさを感じてきました。水をさすような言い方になりますが、芸術家などを別にすれば、自分にぴったりの、自分の好みの職業など、滅多に見つかるものではありません。たとえ「自分が好きな職業」あるいは「自分にマッチしていると思う企業」を選ぶことができたとしても、「好きなこと」だけを行って一生過ごせるものでもありません。
じつは、職業あるいは就職先は、「自分の選択」というよりは「出会い」という側面が大きいのです。ですから、「出会った」職業や会社と、この後数十年にわたって「どのようにつき合い、そこにどのような自分の生きがいを見出していくか」ということが、むしろとても大事なのです。
皆さんには、出会いを得たそれぞれの職業を通して社会としっかりつながり、「社会の主人公」として生きていただきたいのです。「ヤドカリのように暮らしてはならぬ」とは、さしあたってこのような意味です。

第2のメッセージは、東日本大震災と原発事故の教訓を皆さんと共有したいという思いです。3月になると、私たちは、新聞を手に、テレビを前にして、あらためてあの災害と事故のすさまじさに息をのみ、また目の前で肉親を失った人々、住み慣れた生活の場を奪われた多くの人々の悲しみを知ります。2年を経てもなお将来の生活の見通しを持つことができない人々の怒りや無念を知らされます。多くの方々の想像を絶する犠牲を無にしないために、私たちはこの大災害・大事故からしっかりと教訓を引き出さなければならないと思うのです。

大震災の第1の教訓は、私たちは「自然との向き合い方」を考え直さなければならないということです。私たちが後にした20世紀は、科学技術の急速な発達を背景にした産業の時代でした。人間は、手に入れた科学技術を振りかざして自然に立ち向かい、そこから自分たちの「豊かさ」を実現する財を掴み取ろうとし続けました。
ところが、3.11の大震災は、自然の力はあまりにも大きく、その前で人間はいかに小さな存在にすぎないかを見せつけました。自然破壊が私たち自身の生活環境の破壊につながってきた事実を考え合わせるならば、私たちは、「自然に立ち向かう」のではなく、「自然との共生」を真摯に探究しなければならないのだと思います。山を削り、海を埋め立てて産業立地を拡大するのではなく、山は山なりに、海は海なりに残しながら、私たちに必要な富を獲得することはできないのでしょうか。私たちに必要な「豊かさとは何か」という問題とあわせて考え直す必要があると思います。

2つ目の教訓は、「科学技術の扱い方」の問題です。20世紀の科学技術の発達は人間社会に「豊かさ」をもたらしました。人間は、産業のさらなる発展を求めて原子力に手を付けました。一部の科学者や産業界は、原子力を思うままに扱うことができる、だから原発は絶対安全だと言ってきました。しかし、今回の原発事故によって、今日の科学技術では事故が防げなかったこと、また事故を起こした原発の後始末がまったくできないことが露呈されました。つまり、原子力を人間の必要のために操る技術は未完成であることが明らかになったわけです。
そうだとすれば、暴走しかねない原子力と人間との共生は困難です。私たちは、あらためて原子力をはじめ「科学技術の神話」を疑い、その扱い方を考え直す必要があると思うのです。

3.11から学ぶべき3つ目の教訓は、人と人とのつながり、「絆」の問題です。
近年、様々なすさんだ社会現象が目立ちます。路上におけるひったくりに始まって、幼児の虐待や、いわれのない殺人事件まで、非人間的な犯罪の増加が目に余ります。なぜ、このようなすさんだ現象が起きているのでしょうか。
私は、この30年ほどの間、日本を含めて世界的な規模で展開した競争経済が深く関っていると思います。度を越した競争経済が、「格差社会」を作り出すと同時に、人間社会の「共同性」(共に生きる思想)と「社会的弱者への思いやり」を忘れさせたように思えてなりません。このような経済の在り方、社会の姿、そしてそれをどうにもできない政治の混迷が、人々に閉塞感を生みだし、それがすさんだ社会現象の背景を作っていると思うのです。

そのような状況の中で、じつに3.11の大災害・大事故からの復興に向けて、人と人との「絆」が、様々な形で再生しつつあるように思われます。被災地の人々は、食べ物を分け合い、毛布を分け合う避難所の生活から、やがて力を合わせて復興への一歩を踏み出しました。また、全国津々浦々から、さらに海の向こうからも、復興支援の声が上がりました。とりわけ、本学の学生を含めて、被災地に身を投じて支援活動に携わった若者の心意気と行動力が社会に勇気を与えました。このような助け合いが、やがて「人間の共同性」や「弱者へのいたわり」を取り戻すことにつながることを期待したいと思います。

20世紀が「産業の時代」であったとすれば、21世紀は、一人ひとりの人間が大切にされる「人間本位の時代」であってほしいと考えます。それは理想論だと鼻で笑う人がいるかもしれません。しかし社会のあり方は、自然現象とはちがって、社会の構成員である私たちが、私たちの意志が作り出しているのです。だから私たちの力で変えられるものなのです。私たち皆がそう思うならば、理想を現実に変える力が生まれるのだと考えます。
どうか、皆さんは、困難な時代に負けず、理想を掲げて、それぞれの人生を堂々と生きてください。

最後に、皆さんは、必要な時には名古屋経済大学を思い出し、いつでも門をたたいてください。今、世界は大きく変化しつつあります。人々の価値観が大きく変わりつつあります。科学技術の進歩は勢いを加速しつつあります。したがって、皆さんがこれまでに習い覚えた知識や技術は、やがて役に立たなくなるかもしれません。皆さんにとって「学び直し」が必要になる時が来るかもしれません。そんな時にはいつでも本学の門をたたいてください。
皆さんのご健康とご活躍を心から祈ります。