父の日作文コンクール 文部科学大臣賞 受賞! | 名古屋経済大学 新着情報

父の日作文コンクール 文部科学大臣賞 受賞!

表彰式での河村さん(左から3番目)

 6月6日(水)、人間生活科学部教育保育学科1年の河村茜音さんが、『日本ファーザーズ・デイ委員会主催の作文コンクール』で最優秀の文部科学大臣賞を受賞しました。

 

 

 

(以下は河村さんが高3当時に応募した作文です)

 

「写真係」

 ある日の出来事。私はリビングで小さい頃のアルバムの写真を見ていた。私が生まれてから小学校に入学する前ぐらいのアルバム。写真の横には丁寧に写真が撮られた日付、場所が書かれている。幼いころの自分になつかしさを感じ、しばらく写真を見ていた。七五三のときの写真、家族で遊園地に行った時の写真、弟と二人で家の庭のビニールプールで遊んでいる写真。

 ページをめくっていくうちに、一枚の写真に違和感を覚えた。それは私が幼稚園の年中で弟が二歳の時、家族で京都に行った時の写真だ。後ろにはピカピカの金閣寺が輝いていた。特に変わったところはない。自分でも自分が考えている違和感が何であるのか分からない。当たり前のことだが、十二年も前の写真だから当然みんな若くて、私はその頃はまっていたセーラームーンのポーズで、弟は今の憎たらしい態度とはうらはらな純粋な笑顔に、まだピースができなくて人差し指だけ出して「1」のポーズをしている。母も今と比べてしわがなく、父は今の寒そうな頭からは考えられないふさふさの頭、思わず笑ってしまった。

 あれ・・・・。私はその時自分が感じていた違和感に気がついた。それは「父」だった。その写真には父が写っている。当たり前のことだと思うかもしれない。でも、ほかのどの写真にも父は写ってないのだ。遊園地、公園、家、どこの場所で撮っている写真にも、父は写っていない。

 私の幼いころの記憶。今でもはっきり残っている。父はいつも「写真係」どこにいっても、いつも首からカメラをぶらさげて私たちの写真を撮っていてくれた。この写真の時の記憶、今、思い出した。いつも写真に写らない父と一緒に写真が撮りたくて、近くにいた観光客の人に私が写真を撮ってくれるように頼みにいったこと。アルバムの写真をよく見てみれば日付や場所は父の字で書かれていた。「8」の上の丸がでかいのは父のくせだ。

 今は家族で出かけることもなくなった。部活や勉強で忙しいということもあるが、高校生にもなって家族と出かけるのは何だか恥ずかしい気がするからだ。父のカメラも、二階の押入れの奥にある箱に、ねむっているままだ。私は二階に行き、押入れの中のカメラが入っている箱を取り出した。箱はほこりをかぶっていた。箱からカメラを取り出し手にとってみた。

 その時、玄関の扉をあける音がし、「ただいま〜」という声が聞こえた。父が帰ってきた。最近は父と会話することも少なくなっていたが、私は玄関の扉のしまる音と同時に、カメラを持って玄関に向かって走り出した。目を丸くして私を見ている父に、手に持っていたカメラを渡した。父の顔はたちまち笑顔になって

 「そこの壁に立ってみろ」

と言って、私に向かってカメラをかまえた。“パシャッ”父がカメラをかまえる姿は何年ぶりだろうか。私は「私にも撮らせて!」と言い、父からカメラをもらって、父を壁に立たせた。そして父のようにカメラをかまえてシャッターを押した。なんだかワクワクしてすごく興奮した。

 「私、将来カメラマンになる!」

と、はっきり言葉になって口から出ていた。すると父は満面の笑みで

 「おう、がんばれ」

と、言ってくれた。

 我が家の「写真係」は父。でもこれからは“写真係”は私、我が家の写真係の二代目は私。これからは家族の写真は私が撮る。もちろん父もちゃんと写るように。

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